毒親育ちの人生、親の呪縛から逃れるまでを書いていこうと思う①~中学・高校時代~

希望のない人生に光が差し込む様子 毒親
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こんにちは、ハインドです。

今日の記事は、

  • 毒親育ちの人はどんな人生を歩んでいるんだろう
  • 毒親育ちの自分はこれからどんな人生を歩めば良いんだろう
  • 毒親から逃れるためにはどうすれば良いんだろう

こういった方のために書きました。

>>>この記事の続きはこちら( 遊びまくったけど病んでいた大学生活)

これまで毒親の記事について色々書いてきましたが、自分のこと詳しく書いたことないんですよね。

なので今日は、毒親育ちの私の人生について少し書かせてもらおうと思います。

ちなみに私は、現状、毒親である父の影響下からほぼほぼ抜け出せていると思っています。

父とは同居、仕事も一緒にしていますが、適度な距離を保つことができています

自分なりの方法で、今の状況を作り上げることができました。

父の影響下からなんとか逃れようと行動してきた経験が、いま毒親に苦しめられている方にとって、

毒親から離れるためのヒントになるんじゃないかと思っています。

最後まで読んで頂けると嬉しいです。

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毒親育ちの人生、ほぼ解毒済みの私が歩んできた人生

まずは私の自己紹介を簡単にしておこうと思います。

私は、現在30代前半の男性で、小さな田舎町で両親と妹の家族4人で暮らしています。

仕事は父が商売をしていて、そこで営業マンとして父の仕事を手伝っています。

父は支配・過干渉タイプの毒親で、かなり高圧的な態度で接してくることが多く、

私や家族のことをけなしたり、自分のことを持ち上げるような過度な自慢話が大好きな人です。

父のイメージとしては、いじめっ子が一緒の家に住んでいて、

子どものことをおもちゃだと思ってハチャメチャに扱うような感じです。

とにかく子供じみていて、私はずっと父の相手をさせられてきたと感じています。

そんなメチャクチャな人に振り回されてきて、まともな人間として育つはずがありませんよね。

グレるようなことはありませんでしたが、人とは違う人生を歩んできたと思っています。

そんな私の半生をここから書いて行こうと思います。

中学生のころまで

中学生のころまでの私はけっこう明るい性格でした。

勉強もまあまあできて、学年で上位2割、良いときは1割に入るような成績でした。

まあ田舎の小さな学校なので、成績上位といってもたいしたことありませんでしたけどね。

部活は野球やサッカーを少しやってしっくりこなかったので、すぐに辞めました。

結局、最後に入ったバスケ部で卒業まで活動していました。

なんだかんだ普通の中学生に見えるかもしれませんが、人間関係では問題が多かったです。

自分は冗談だと思ってやったことが人を傷つけてしまったり、反対に嫌がらせにあったりといろいろありました。

特にバスケ部のメンバーからは仲間はずれにされ、自分にだけパスをもらえなかったり、

パスが来ても投げつけるようにボールが飛んできたりとイジメのような体験をしました。

当時は、こんな奴らの嫌がらせに屈するものかと根性で続けていましたが、

いま考えてみると、彼らの嫌がらせは私の態度が問題だったんだと感じています。

当時の私は、人を見下したり調子づいた態度を取ってしまっていて、それが彼らの気にさわったんだと思います。

嫌がらせを受けても文句が言えないことを私はしていたんですよね。

それに気づいたのは20歳を過ぎてからです。

小さい頃から、ガキ大将のような態度で友人達に接することが多く、うっとうしがられることもよくありました。

自分よりも弱い立場の人に取り付いて、いろいろ命令したりからかったりといったこともやってしまっていました。

中学の頃は、自分は何も悪くない。

悪いのは周りの人達で、私の思い通りにならないのが悪いんだと独裁者の考えを持っていたことを覚えています。

思い出すだけで迷惑をかけた人達に対しての申し訳なさでいっぱいになります。

高校時代

中学時代はそれなりに成績は良かったので、高校は地元の進学校に進むことができました。

入学当時の成績は、400人ほどいた学年でちょうど真ん中くらい。

県内全域から生徒が集まってきていたので、上には上がいるし、そんなものだろうと思っていました。

部活は、バスケ部に入ろうかと考えましたが、中学時代に比べ練習がかなり厳しい印象だったので、

入部せず帰宅部になりました。

進学校ということで勉強量も多く、授業についていくのがやっとでしたね。

1年目はなんとか成績を維持していましたが、2年生になった頃から徐々に成績が下がり始め、

3年生に上がったときの学力テストでは下から10番目。

完全に勉強に対しての自信をなくしてしまっていました。

ここまではちょこちょこいる挫折学生ですが、やはり問題は人間関係です。

2年生になって勉強についていけなくなった頃から人間関係がおかしくなってきたと感じていました。

それまでは普通に友人たちと接することができていたんですが、

成績が落ち始めた頃から友人たちとコミュニケーションを取ることがストレスになっていったんです。

この友人関係のストレスは、普段の私の態度が原因だったんだと思います。

中学時代の話のところでもお話しましたが、私は人を見下したり横柄な態度をとることが普通になっていました。

しかし、勉強についていけなくなってからは、周りの友人に対して劣等感を感じることが多くなり、

横柄な態度を取れなくなったことで、自分らしさが出せなくなっていったんです。

(横柄な態度が自分らしさというのはなんとも迷惑な話ですよね。当時、こんな自分と付き合いをしてくれた友人達には、本当に申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。)

横柄な態度でしか周囲の人とコミュニケーションを取ったことがない私は、

どのように友人と接して良いかが分らなくなっていて、今まで以上に見栄を張ったり

大きな態度を取ったりと、さらに迷惑をかけていました

とにかく横柄な自分を出さないように我慢することしかできませんでした。

20歳を超え、自分のことを本気で見つめ直したときに気づいたことですが、

私の横柄な態度やその他周囲の人に迷惑になる行為というのは、父の私に対しての態度そのままでした。

私は、父の態度をそのままコピーした状態で友人たちに接していたんです。

そのことに気づいた時には、そりゃ嫌がらせを受けたりするはずだと、

ものすごく納得したことを覚えています。

それ以外に、普通の人と比べてちょっと変わっているということで、よくからかわれることがありました。

同年代に比べて子どもっぽいというか幼稚というか、とにかく変だとよく言われていました。

あと、強烈な不安感があったのもこの頃ですね。

自分がやってはダメだと思うことをやってしまうと、そこにいるはずのない父が頭の中に出てきて、

怒鳴られてしまうんじゃないかと強い不安感に襲われたのもこの時期です。

PTSDのフラッシュバックというやつでしょうか。

とにかく強い不安感で、これが出てきたときは、身体が震えて何もできなくなるほどでした。

それだけ父の影響が強く出ていたんだと思います。

高校時代は、ほとんど良い思い出がありません。

勉強に挫折して学校に自分の居場所がないように感じて、人間関係も良くなかった。

友人達には見栄を張ってなんともないという態度で接していましたが、本当はその場から逃げ出したかった

私の人生のつらい時期は、ここから20代後半まで続きます。

>>>続きはこちら(遊びまくったけど病んでいた大学生活)

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まとめ

今日はここまで。

大学以降の事については次回の記事で。

自分のこと書くってなかなか難しいですね。

改めて文章力をもっと磨きたいなと感じました。

それではまた。

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~THE END~

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